2003年06月14日 土曜日
今週も長かった
今週も月曜日からお仕事だったので、えらく長い一週間だった。来週は父の一周忌のため帰省することになっているので、2日しか会社に行きません。まぁ来週のお仕事はハードになりそうな予感なのだが、今週末はゆっくり休もう。
今週も月曜日からお仕事だったので、えらく長い一週間だった。来週は父の一周忌のため帰省することになっているので、2日しか会社に行きません。まぁ来週のお仕事はハードになりそうな予感なのだが、今週末はゆっくり休もう。
昨日のミーティングとは毛色が違う普段のミーティングだったのだが、今日も一日中ミーティングだとさすがに実効的な仕事が進まない… まぁしゃあないか。体調が悪いので非常に堪える。
最近、平日ばかりでなく休みも忙しくて、あまり休んでいるわけでないせいか、ついにダウン。今日は半休を取ってしまいました。が、結局3時間以上残業したので、結局半休を取った意味がなくなってしまった。
体力的にはまだ大丈夫な気がするけど、精神的にだんだん限界に近づいているので、体力的にも持たなくなっている気がする。昔、大学時代に先生に「心・技・体はこの順番に重要」と言われたことがあって、精神的に厳しいとすべて駄目になってしまう今を見ていると、そろそろ心のリフレッシュが必要かなぁ。
まぁ_いくら頑張っても地震の前のコンディションには戻らない_と言うところに、今仕事の問題があって、頑張っても以前通りで_良くなるわけではないのが救いのないところ_。
今週は月曜日から土曜日まで仕事で、日々22時くらいまでの残業が続いた。地震の余波を思いっきりかぶった一週間であった。体力的と言うよりも精神的にあまりに厳しかったので、何とか乗り切れて良かったのであるが、まだ仕事は残っている。月曜日の休日出勤は確定なのである。
仕事が終わってから仲間内で焼き肉を食べに出かけてみた。まぁたまにはこういうのがないと食生活が寂しすぎるのであるが、非常に美味しい焼き肉屋さんで精神的な疲れが癒される食事であったように思う。来週も頑張らねば。
今日は一日中自身関連の精度データの収集と整理に明け暮れる。あまりに膨大なのにも関わらずデータ取り自身が進まないのでいらいらした1日を過ごした。締め切りは迫ってくるので、今週はお休みを1日返上だなぁと漠然と考えている。
久しぶりに工場の中の設備移設・設置関連の仕事で、一日付きっきりだった。さすがに慣れないので疲れたなぁ。
「闇が濃くなるのは、夜が明ける直前なればこそ」と言うのは、ちょっとした人なら言いそうな言葉であるが、僕は初出を知らない。僕が知っている限りでは、銀英伝でのアーレ・ハイネセンの言葉となっているのだが。なんだか教養のなさがばれるわね。最近経済系の著名な人も言っているので別な由来があるのかも知れないが、もし彼らが銀英伝読者ならほほえましいのである。
さて、今いろいろなことを進めているのだが、考えてみると今がちょうど夜明け前という気がしていて、そういえば今日のタイトルにした言葉が合う状況だと思ったのである。この先行きが見えないもやもやした感じや打破できなさそうな状況を突破するために、いろいろな闘いを続け、最終的にもし綺麗な朝日が見られるならば、頑張る価値はあるだろうと信じて歩くしかないのである。実は今日半休を取って、一つ賽を投げてきた。もう後ろを顧みる鬱屈した日々は終わった。あとは前に進むのみと思うのである。
ずいぶん前のN響アワーのオープニングの曲のタイトルが分からなくて気になっていたのですが、昨日何となくNHK BS Digitalをみていて分かりました。_ベルリオーズ 「ローマの謝肉祭」_でした。(その前はエドガーの「威風堂々」でした。最近は真面目に見てないから知らない。) お気に入りの曲なのでそのうちCDを買わないと。
車の中でCDを聴いていると、ケースと中身の対応が崩れてしまって、_どうしても見つからないCD_が出現してしまう。そんな困ったことはよくあるのであるが、今回はFinal Fantasy 8のサントラの4枚目がかれこれ1年ほど行方知れずになっているので、探索に乗り出した。
このCDはよく考えたら、中盤のピアノソロがむちゃくちゃ格好良くてかなりお気に入りの曲だった「アルテミシアのテーマ」が入っているので久しぶりに聴きたくなったのが探索の理由。うちの書架には300枚以上CDがあるので、探すのは非常に大変。
今回の探索により、このCDはなぜかカルロス・クライバー指揮 ベートーベン 交響曲第5番のCDケースに、交響曲のCDに重なって入っていたのであるが、このつながりは思い出せるわけもない。記憶に頼ってはならないと言う好例であろう。(ちなみにカルロス・クライバーの「運命」は本当に素晴らしい演奏だと思うのだが、これは別の話。)
あと飯島 真理のベストCDのケースに、ポメリウムの中世の合唱曲が入っていたり、なかなか変な組み合わせを発見してしまって、はて? どうしてなんだろうと思わずにいられなかったのである。
最近人間努力してもどうにもならないことばかりな話ばかりな気がしてならない。ほんの何年か前までは僕は超楽観主義者で_努力すれば必ず良い方に事態が進む_と信じてひたむきだったのだが、とある失恋をした2年くらい前からどうも空回りしている気がする。それは仕事にしてもプライベートな話にしてもそうである。
例えばそのときの話をすると、ある女性を好きになって、彼女と話がようやくできるようになって親しくなったときに、その彼女が僕を一人の恋愛の対象としての男性としてみられていないということが分かってしまった。遠くにいた人だったので、滅多に話もできなかったし、ましてや直接あうこともなかなかできなかったのもあって、悔しいかな諦めざるを得なかった。(やっぱり縁がなかったのかも知れないが。)
そのときに思ったのは、僕がひたむきに努力すれば、_優しい人_や_良い人_にはなれるのかも知れないが、どんなに頑張っても残念ながら_彼女の一番_にはなれないことが必ずあると言うことだった。人の心は本当に難しい。それから悔しく夜も眠れぬ想いを何度もしたが、やはり好きにならない一人でいる努力をするしかないのかなぁ。最近またふとそう思うのである。
そういえば、去年の父の葬式で彼女に会ったのであるが、今は結婚してしまって今は幸せに暮らしている。僕はこれはこれで良かったのだと思う。たまに彼女がここを見に来てくれていることは知っていて、それでも引き合いに出してしまったのは済まないかなと思うのであるが、ようやくこういう話を日記に書けるまで、僕の中でかみ砕けるようになったと思うのである。あと最近ちょっと似たような話があって、ほろ苦い思い出を思い出してしまい恥ずかしながら、話を書く気になった訳だ。今にして思うと今の僕を形作る一つの事件だったのかなと思うのである。ぼちぼち埒もあかなくなってきているので、最近いろいろ考えるところがでてきて、今年は良い方向に持っていくためのもがき苦しむ我慢の年だと思っている。なんとしても良い方向にもって行かないと、僕が僕を維持できなくなってしまって、壊れていくような気がしている。
あとやっぱり努力しさえすればなんとかなるものはやっぱりあって、それは頑張ればいいわけだ。精神的には全然難しくないと信じている。これは今も変わらない。ただすべての事象に当てはまらないと言うことが分かっただけだ。例えば、僕がこの年で博士号を取得したいと思えば、今の仕事で社会人ドクターの道はあり得ないので、多少無理があるかも知れないし、修了後の職がないだろうが、今の仕事を辞めて博士後期課程に進学して、一生懸命研究に励めば、おそらく博士号はとれると思うのである。努力して何とかなる物は気が楽で何とかできるように努力するのだが、自分の範疇を越えている事象は本当に難しい。
会社の方は大変な状況になっていました。今月に入ってから深刻なトラブルが多く、ほとんど毎週立ち上げ作業を行っている気がするのだが、今回のは本当にしんどいトラブルになりそうだ。とりあえず自分が担当している装置(計測器関連だが)は問題なさそう。問題は別の大きな物だなぁ。
それにしても毎週立ち上げ作業というしんどい作業が続くと体力的にも精神的にももう持たない。